2006 年
3 月
26 日
カテゴリ:発想の転換
子どもの安全を確保するための取り組みについて@
〜代表質問にて〜
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子どもたちの安全を確保するために、不審者情報のメール配信サービスの実施、セーフティ教室の充実、市内全小中学校へ防犯カメラの設置、学校と地域が連携した防犯活動など、 東京都と連携しながら行政主導での安全対策が図られています。 不安を解消するはずのこれらの施策ですが、 地域で起こっている犯罪被害状況が次々とメールで送られてくる日常、 大人から毎日のように「気をつけなさい」と注意され、本来自由で解放的な放課後を管理・規制される日常につながり、 むしろ地域において、ますます不安を高めることになりはしないでしょうか。
私自身も低年齢の子どもを育てている親であり、子どもの命を奪う暴力に対しては強い怒りを感じます。 なんとしても、子どもの生命や人権を守っていかねばなりません。 そのためには、センセーショナルな事件や事故に右往左往するのではなく、子どもの視点や子どもの成長を支援していく視点から、何が本当の課題であり、私たちは何を解決していかねばならないのかを冷静に見つめていくことこそが重要だと思っています。
子どもが被害となる犯罪について、一つひとつ丁寧に見ていくと、 社会から排除されてしまった人たちが、その鬱屈したストレスを力の弱い子どもにぶつけているという構造が見えてきます。 私たちが真に恐れるものは「人」ではなく、むしろ「社会構造の歪み」なのではないでしょうか。
まさに今回市長が「施政方針」の冒頭で述べているように、 「互いの相違点よりも人類としての共通点を大切に、ともに生きる世界を築くよう努力すること」、 それを実現していくための多面的できめ細やかな取り組みこそが、 国分寺市を安心安全なまちにしていくのではないかと思います。
小手先だけの安全対策は、子どもの心に他者や異物の排除による新たな差別感情を生む恐れがあるだけではなく、 市長の掲げる「共生」の理念とも相反するのではないかと思います。 子ども、保護者、学校、地域の人たち、行政など、それぞれが取り組む安全対策の内容は違います。 行政は行政にしかできないことがある。それを間違えないようにしていただきたい。
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