2006 年
2 月
12 日
カテゴリ:人権・平和のこと
原爆のはなし
〜「語り部による講話の会〜原爆から救いたかった子どもの命〜」に参加して〜
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私は1984年に大学に入学しました。4月の新入生歓迎コンパで、「私は広島県出身です」と自己紹介したとき、間髪入れず「身内に被爆者いるの?」という野次が飛びました。それに続くように「あ、知ってる。ピカでしょ」という声が聞こえ、みんなが笑ったので、本当に固まってしまい、次の言葉が出ませんでした。 「ピカ」は原子爆弾を指すと同時に、被爆者に対する蔑称として長らく遣われていた言葉です。ちなみに私は教育学部で、発言をした人も笑った人も教育学部の学生です。 その年の夏休みに帰省したとき、他府県の大学に行っている友人に憤慨しながらその話をすると、やはり同じようなことがあったとのこと。 中には、「広島出身の人と結婚すると、原爆症の子どもが生まれるから、結婚はしない」とまで言い切った人もいたそうです。
今はどうなのかはわかりませんが、私が子どもの頃は8月6日午前8時15分になると1分間のサイレンが鳴り響き、黙祷をささげていました。 また、その日は全校登校日で、毎年必ず平和や戦争についての学習をしました。 小学校5年生のときには、マンガ『はだしのゲン』をクラスで回し読みし、突然に親や家族を失ってしまう恐怖感、生きた人間の傷口に蛆がわくこと、被爆して心身ともに深い傷を負っている人に対する差別の構造が存在したことなどを知りました。 原爆を話題にして笑うことはもちろん、この人と結婚したら〜なんてことは、全く思いつきもしませんでした。
私は当然、日本全国で同様な平和学習がされていると思っていましたが、全くされていないことを知り、驚くというか、とても不思議でした。 世界で唯一の被爆国でありながら、この国に住む人たちと、この究極の人権侵害に対する怒りや恐怖、嫌悪、断絶に向けた強い意思を共有することができないのは何故でしょうか? 人々の意識の中に、原子爆弾は日本という国に落とされたのではなく、「ヒロシマ」「ナガサキ」という特定の地域に落とされたのだという差別感・区別感があるからだというのは、言い過ぎでしょうか。
私は戦争を知らない世代ですが、感受性の強い年代での繰り返しの学習により、あの「きのこ雲」の下で起こったこと、その後も長らく続いた非人間的な恐ろしい出来事が、心と頭にくっきりと焼きついています。 それは「ヒロシマ」という地がくれた何よりも大きな財産だと、心から思っています。
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